プロポーズ(フィクション)

今朝も相変わらず電車は混んでいる。こんなに大勢の人間がこの街には存在していたのかと思うくらい、うんざりするほどの人間がこの小さな箱の中にぎっしり詰め込まれている。ドアに押し付けられながらぼんやりとそんなことばかりを考えていた。いつもより駅に早く着いたからって先頭になんか並ぶんじゃなかった。後ろのサラリーマンが吐く息が髪に当たっている気がしてさらに憂鬱な気持ちになった。会社に着く前にCHANELを吹きかけなきゃ。

 

 

 

昨日の夜、高校時代の友達から突然電話がかかってきた。特別仲がよかったわけじゃないけど、たまーに会ってお酒を飲んだりする。いつもいつも恋人がいる誰かのことを羨ましがって、いい出会いがないかと嘆いている。本当はそんなに羨ましがってもないくせに。わたしは彼女が不倫をしていることを知っている。直接聞いたわけじゃないけど、なんとなくわかる。嫌でもわかってしまう。口では羨ましいと言いながら、自分は他の人とは違う、危ない恋愛を楽しんでいることをどこか誇らしげに思っていることを。不倫相手が家賃を払ってくれている家に住み、不倫相手に買ってもらった服を着て、不倫相手に買ってもらった口紅を塗った唇で、婚約相手がいるわたしや、恋人がいる他の友達を羨ましいと言う。昨日もきっと似合わない真っ赤な唇でタバコを吸いながら適当にわたしを選んで電話をかけてきたんだろう。今日も彼女は不倫相手のいる会社に、同じように電車に揺られながら向かっているのだ。

 

 

 

先月、付き合って4年目になる恋人に結婚しようと言われた。別に断る理由もないし、これから先わたしに結婚しようと言ってくれる人が現れるとも限らないし、彼はいい人だし、気も合うし、即座にOKした。4年目になるし、記念日でも誕生日でもないのにやたら高そうなレストランに連れて行かれたのでなんとなくそうかな、とは思っていた。プロポーズって、もっと感激して泣いたりするもんかと思ってたけど、別にわたしは泣かなかったし、うん、いいよと答えて彼が用意してくれていた指輪と花束を受け取った。あれ?プロポーズってこんなもんか。と。むしろ彼のほうが緊張なのか嬉しさなのか、少し涙ぐんでいた。わたしは慌ててハンカチを渡したけど、あれ、ドラマとかだと逆じゃない?と心の中で思っていた。彼のことは好きだし、きっと結婚してもいい旦那さんになるんだと思う。わたしより2つ年上だけどたまに子供っぽくて、だけどきちんと人の目を見て話してくれる、優しい人だ。仕事もきちんとしているし、わたしの両親も彼を気に入っている。うん、ばっちり。完璧じゃん。だけど電車の中でちらっと自分の左手を見て、うーんわたし、結婚するのかあ。と、そんな風にしか思えなかった。

 

 

 

彼女なら、指輪と花束と自分たちの写真をInstagramにバンバンあげて、「プロポーズされました!!彼と一緒に生きていきます。本当に嬉しい!」とか泣いてる絵文字と共に投稿するんだろうな。いや、相手は不倫だからそれはないか。ぎゅうぎゅうに押されながらなんとか携帯を取り出し、彼女のInstagramのページを開く。最新の投稿は昨日の夜。「新しい子GET♡パケ買いしちゃったけど色味も私好みで最高〜!さっそく使っちゃお!明日から月曜だけど、みんな頑張ろうね!♡」という文章と共にデパコスの新作と、彼女の自撮り写真が載っていた。加工で目がバカみたいに大きくなっている。みんな頑張ろうねって誰に向かって言ってんだ。頑張ろうねってあんたは不倫相手のいる職場で仕事するふりしながら星座占いのページ見てるだけだろ。無性にイライラしてしまって小さく舌打ちをした。後ろのサラリーマンが申し訳なさそうに反対側を向いて、あーごめん、あなたじゃないんです、すみませんすみません。心の中で全力の土下座。何にこんなイライラしてるんだろう。わたしは不倫もしてないし、真面目に仕事をしているし、給料は彼女より多くもらってると思うし、恋人にプロポーズもされた。彼女のことを妬む要素なんてなにもない。

 

 

妬む?わたしは彼女のことを羨ましいと思っているのか。認めたくなかったけど、そうだと気づいた瞬間、何故だか泣きたくなった。月曜の朝、混雑した電車で泣いているOLなんてみっともないので必死に瞬きを繰り返す。なぜ、なぜ。なぜ、彼女が羨ましいんだろう。わたしは彼女が欲しいと言っているものを全部持ってる。だけど、だけど、彼女はきっと、わたしが欲しいと心の奥底で、気づかないようにしていたけれど欲しいものを、持っている。それがなんなのかはわからないけれど。わたしより彼女のほうが、ずっと毎日が楽しそうだ。InstagramにもTwitterにも載っていないところまで、きっと楽しくて仕方ない毎日を送っているんだろう。不倫相手のいる職場も、きっと楽しいに違いない。なぜ、なぜ、なぜ。

 

 

滲んだ視界に、左手の薬指にはめられた指輪が入り、ついにそれは、頬を伝って落ちていった。